2009年1月 9日
園木 さんはブログを始めました東ローマ帝国時代デリヘル
今日はこんな事について考えてみました。
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東ローマ帝国時代のギリシャ人は他のキリスト教徒の諸民族からはもっぱら「ギリシャ人」と呼ばれた。しかし、ギリシャ人自身は(東)ローマ帝国市民としての自意識を持ち、ロマイオイ(ローマ人)と自称しており、「ヘレネス」は古代の異教徒、あるいは地方都市や農村の住民のことをさしていた。古代ローマ時代のことを「父祖の時代」と呼び、古代ギリシャ人の子孫であることよりも、古代ローマ帝国市民の末裔であることを誇りにしていたのである。例えば、10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世はその著書『テマの起源について』の中で、7世紀の皇帝ヘラクレイオスが帝国の公用語をラテン語からギリシャ語に改めたことを「父祖の言葉を棄てた」と表現している。
しかしその一方では、上述のように7世紀以降の東ローマ帝国ではギリシャ語が公用語となり、日常と学問の言語として常用されていたし、東ローマ帝国の知識人階層ではホメロスの詩を暗誦できるのが常識、とされたようにギリシャの古典文化が尊重されていた。
特に東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝期にはギリシャ古典文化が大いに見直され、復興を果たす(パレオロゴス朝ルネサンス)が、この時期のギリシャ古典文化を身につけた東ローマ帝国のギリシャ人の一部はヴェネツィア共和国によるモレア半島、キプロス島、クレタ島などの支配や1453年のコンスタンティノープルの陥落の影響で次第にイタリアなど西ヨーロッパに渡ることも多くなり、ルネサンス期の古典復興に大いに貢献したと言われる。西ヨーロッパに渡ったギリシャ人の中では、画家エル・グレコが有名である。
なお、この時代のギリシャ人について、日本の世界史教育で「東ローマ帝国によるギリシャ人の支配」と表現されることが多いが、東ローマ帝国時代は皇帝・高級官僚・コンスタンティノープル総主教など支配階級の多くがギリシャ人によって占められていた史実を鑑みると、その表現は妥当性を欠いている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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- at 18:52